こんにちは、タクオです。
突然ですが、あなたにお聞きしたいことがあります。
あなたは、
「住居」とは呼べない場所で暮らしたことがありますか?
僕はあります!
いや、「あります」じゃなくて、実は、
ついこの前まで 「住居」とは言えないところ で暮らしていました!
「どういうこと?」って思いましたよね。
今日は僕の “恥部” とも言うべき、過去についてお話ししようと思います!
初めての独立
詳しいプロフィール でも書きましたが、僕は34歳のときに初めて「独立」というものを経験しました。
業種は、自動車の軽補修業。
たまたま目にしたテレビ番組に触発されて「一旗揚げるぞ!」と意気込み、 “無謀すぎる一歩” を踏み出したのが始まりでした。
そのとき独立するにあたり、「作業場が必要だな」ということで、家の近所にプレハブの小屋を借りたんです。
それが今回の “主役” である、住居とは言えない 小屋 になります。
一般的な方々からすると、
「23区に小屋なんか無いでしょ!?」
と思いますよね?
それがたまたま、タイミング良く見つけられたんですよ!
とあるマンション1階のピロティ(吹き放し)にある、駐車場の奥に建てられた『スーパーハウス』。
6畳強のプレハブ小屋に加えて1台分の駐車スペースが付いた物件が、12年前の僕にとっての「城」となったわけです。
結果は火を見るよりも明らかでした
作業場まで借りて挑んだ僕の初めての独立はどうだったのかと言うと、
…
…
…
まぁ「言わずもがな」ですよね。
1年も持たずに、廃業と相成りました(苦笑)
経験も実績も無い業界でしたから、今になって思うと「当然の結果」ですね。
しかも、この独立失敗が大きな原因となって離婚することになります。
自営の仕事では思うように売上を作れなかったのでアルバイトもやっていましたが、それでも仕事の経費を賄うのが精一杯……
結婚していた当時の僕でしたが、そんな状況では家計にお金も入れられず、安定した収入のある前妻に甘える日々が長く続きました。
そうなると夫婦仲はどんどん悪くなるわけで、独立から1年ほど経った頃には前妻とはほとんど口を利かなくなりました。
2人いた息子は、当時6歳と3歳。
父親と母親の不仲を幼い子どもたちに日常的に見せてしまったことは、今でも申し訳なく思います。
そんな状況の中でも、どうにか家族の体を保っていたタクオ家でしたが、前妻に
「苗字が変わるなら(長男が)学校に入る前にしたい」
と言われ、長男の小学校入学直前のタイミングで僕は三行半を突きつけられました。
2012年の春のことです。
家を借りられるお金がない!
30代後半でバツイチとなったタクオ。
前妻は息子たちを連れて、新たな住まいへと移り住みました。
「独り」になった僕もそれまで暮らしていた住まいでは広すぎるので(と言うより家賃が払えないので 苦笑)、新居を探さなければなりません。
とはいえ毎月の支払いに四苦八苦している状況では、新居にかけるお金など持っているはずも無いわけですよね。
「さて、どうしようか」と思い悩みましたが…
すぐに “名案” が思い浮かびました。
「あっ! お金が貯まるまで
プレハブに住めばいいじゃん!!」
作業場として借りていたプレハブは6畳強の広さだったので、一人暮らしにはピッタリの大きさ(笑)
幸い持ち物もほとんど無かったので、寝る場所は十分確保できそうです。
「よっしゃー!
プレハブで暮らすどーーー!」
こうして僕は、大都会の片隅にある 小屋 で暮らすこととなりました 笑笑
ここでプレハブ小屋のスペックについて、簡単にご説明しましょう。
●1985年築
●約3.8坪(約12.6㎡)
●賃料 5.5万円(駐車スペース1台分付)
●水道・エアコン付、ガス無し
●(プレバブ脇に)トイレ有
●もちろん風呂無し
どうでしょうか?
日本国憲法で謳われている「健康的で文化的な最低限の暮らし」はできそうですよね!? 笑
近所の銭湯に行けばいいので、風呂は問題なし!
作業場の隅に布団を敷けるので、寝床も大丈夫!
ご飯だって夕方のスーパーで見切品を買えばいいでしょ?
生き存える上での問題は、ほとんど無さそうじゃないですか!!笑
唯一心配だったのは、プレハブで住民登録ができるのか? ということ。
が!
恐る恐る区役所に出向き転出届を出したところ、あっさり受領してもらえました 笑
あのときは40余年の人生の中でも3本の指に入る安堵感を覚えましたね 笑笑
斯くして36歳当時のタクオは、大都会の片隅にある小さなプレハブ小屋 で一人暮らしを始めることとなったわけですww
その後は自動車の補修業には見切りをつけて、再起の足掛かりとして始めたネット物販で成功!
約2年間のプレハブ暮らしを終えた後は、 晴れて “ちゃんとした” 部屋に住むことができるようになりましたw
またお金が無ぇじゃねえぇかよ!
「やり直し」が上手くいき、経済的な余裕を手に入れた40歳前のタクオ。
タワマンや一軒家のような人様に自慢できるような住居ではありませんでしたが、おかげさまでちゃんとした住まいで暮らすことができるようになりました。
あの頃は穏やかで充実した毎日だったなぁ(笑)
その後に新規事業に失敗してまたしても金銭的に困窮した過去は 詳しいプロフィール に譲るとして、ここで改めて詳述しません。
(と言うより何度も書きたくないw)
再び経済的危機を迎えた2年前の僕にとって、10年前の「小屋暮らし」の経験はとても役に立ちました(笑)
せっかく住めるようになった “住居” をまた出ていかなければなりませんでしたが、
「家を引き払っても、
またプレハブに住めばいいじゃん!」
と開き直ることができましたから(笑)
人間って、一度経験したことには「免疫」ができるものなんですね。
10年前にあれほど「早く家に住みてぇぇーーー!」って思っていたのに、2回目に “堕ちた” ときには過去の経験があった分、大きな心理的抵抗が無かったですもん(笑)
こうして小屋暮らしの再開とともに始まった僕のタクドラ生活。
プレハブ小屋で住民登録もできているので、転職活動の際にはまったく支障はありませんでした。
加えて前回と違って今回は 会社の風呂を使える ので、銭湯の入浴料分の節約ができたのはありがたかったですね 笑
(多くのタクシー会社には仮眠室や風呂といった施設があります。)
2年間のタクドラ生活でまた家に住めたぜ!
こんな具合で、大都会・東京の片隅でどうにか生き存えてきた感のある僕のタクドラ人生。
2年間にわたり「サバイバル」のような生活を送っていましたが(笑)、先日より晴れて 再び “家” に住めることになりました!!
写真のように何の変哲もない25㎡弱のフツーの1Kですが、“人間の住まいらしい部屋” というのは本当に良いものですね(笑)
心も身体もとても健康的な日々を送れています。
前回の “闇落ち” のときと同様、持ち物が多くなかったので今回も引っ越しは1人・1日でほぼ全て終了。
(唯一冷蔵庫だけは1人では運び込めなかったので仲の良い同僚2人に手伝ってもらい、その報酬として焼肉とキャバ●ラでもてなしました 笑)
窓が2面あって日当たりが良いこともあり、引っ越してからは毎日がとても清々しいですね♪
これまで住んでいたプレハブにも窓はありましたが、やっぱり全然違いますよ! ソリャソウダ
こんな感じで、タクシードライバーという職業のおかげで「人間らしい暮らし」ができるようになったわけですが、この2年のことを思い返すとなんだか感慨深いものを覚えます。
とまぁここまで書いたように、まるで「半分ホームレス」のようだったタクドラデビューから先日までの僕(笑)
おかげさまでこの2年間でどうにか稼げるようになって、人様と同等の生活を送れるようになりました!
ここまで書いたような経験もあって、東京のタクシードライバーという仕事には「可能性」や「やりがい」が詰まっているのではないか?
そう思う今日この頃です。
とまぁ本日は僕の “恥部” を曝け出すのと、タクドラという仕事のポテンシャルをお伝えするべくこの記事を書かせていただきました。
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